日々とおまじない

それでも書く

日々とホルン

中学に進学しました。私の住んでいた地域では、私の通っていた小学校と隣の小学校の生徒がほぼ全員同じ中学校に進学します。

部活の仲間も、いじめっ子も、みんな一緒に進学しました。

だけど、学年の人数が倍以上になったので、いじめっ子との距離は自然に離れ、暫くはいじめっ子の脅威から離れることが出来ました。

 

そのお陰で、1・2年生の間は教室でも比較的安定して過ごすことが出来ていたと思います。

同じクラスに部活の友達もいたので、その子を中心にクラスに居場所を作ることが出来ていました。居場所の外にいる子と話すのは、変わらず怖かったですが。

その頃は、「教室は敵」みたいな感覚は薄かったと思います。

 

それでも、部活動の時間は毎日恋しかった。

中学はブラスバンド部は無かったので、オーケストラ部に入りました。

アルトホルンも無かったので、ホルンを選びました。

名前が近いからというのもあったんですけど、それ以上に、なんというか、運命を感じたというか。笑

顧問には歯並びや口の形を指摘されて向いてないって言われたんですけど、形とか、音とか、もうこれしかない!!って思ったんですよね。

この日以来、大人になってもホルンを続けることになります。そして、適性のなさを自覚していくのはもう少し後のお話です。

 
f:id:ni2ka:20170210144848j:image

 

ホルンパートは先輩の数が少なかったので、1年生でしたが早速コンクールに出ることになりました。

曲はブラームス交響曲2番第4楽章。パートは2nd。

当時の私には有り得ないくらい低い音域のパートを任されて、でも、それだけ難しいパートを任されることが嬉しくて。

ブラスバンドより遥かに大きくなったオーケストラの音の渦に飲まれながら、毎日のめり込んで練習していました。

 

J.ブラームス/交響曲 第2番 ニ長調 第4楽章 Allegro con spirito - YouTube

 

この時の2つ上の先輩(3年生)に、私はもうめちゃめちゃ憧れていました。

ほんわかした雰囲気の人で、ホルンの音色がすごく綺麗で、パート内の交換日記に書くイラストがすごく可愛らしくて……

ああいう風になりたい!って思った初めての先輩です。

演奏に関する影響はさることながら、私が今みたいなイラストを書くようになったきっかけも、その先輩です。

私の今の趣味の方向性は、その先輩に憧れたことに大体の要因があります。笑

 

ホルンの先輩以外の先輩も素敵な人ばっかりで、1年生の時は同期のコンクールメンバーは少なかったものの、いや、だからこそ、どんどん部活に傾倒していったんだと思います。

 

そうして練習を続けていくうちに、先生や先輩や同期に自分の演奏を褒めてもらえるようになりました。自分でも、上手くなっていく実感がありました。

先生の勧めもあって、2年生の冬にソロコンクールに参加しました。曲はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ

 

Pavane by Ravel for French Horn, Steve Park, Horn - YouTube

 

ハイトーンがなかなか当たらなくて苦戦したのですが、なんとか本番に出て、結果は優秀賞。

県大会出場は叶わなかったものの、金銀銅でいう金賞を取れた私は、自分の演奏がコンクールで認められたことが嬉しくて、さらに自信を持つようになりました。

正直に告白すると、天狗になっていました。

 

県大会へは、私の一つ前に演奏していたホルンの男の子が出場しました。そして、パヴァーヌは後に因縁の一曲になります。

 

結局、部活のために学校に通うというのは、中学に入っても変わらなかったのですが、勉強もちゃんとがんばっていました。

オーケストラ部の友達(ほとんどブラスバンド部の仲間と変わらないメンツですが)は頭のいい人が多くて、その環境が励みになっていました。

 

もう、どう思い返しても、中学1・2年の頃は部活の記憶しかほとんど思い出せません。

それくらい、私の全てだったんだろうなぁ。

あとは、オタクに目覚めたことでしょうか。厨二病ですね。当時更新していたブログがまだ残っているのですが、痛々しくてほんと見るに耐えない……笑

そして、学年が3年生に上がると、そのブログには鬱々とした感情が吐露されるようになるのでした。

 

次回からは、当時のブログの記事を引用しながら書いていこうと思います。

部活は味方。教室は敵。

同級生より一年遅れでブラスバンド部に入部した私は、新入生として例外なく基礎の基礎から練習をはじめました。

楽器を吹くために必要な力を養うために、腹筋や背筋、ブレストレーニングなどの課題が課されました。

あんまり辛い思いをした記憶はないです。

とにかく楽しくて。

同級生のみんなに追いつきたくて、毎日一生懸命取り組んでいたのを覚えています。同級生も、後から入部した私を受け入れてくれる優しい人ばかりでした。

 

ひと通りの課題を終えて、やっと楽器を吹くことが出来るようになりました。

選んだのはアルトホルン。マイナーな楽器ですが、金管バンドでは裏メロディーなどで活躍する楽器です。

 

 

Concerto for Horn in E Flat. Vincenzo Bellini. Tenor Horn and Piano. - YouTube

 

マウスピースで音を鳴らす練習をしてから、楽器で実際に音を鳴らします。

すぐ鳴りました。音を変える運指もすぐに覚えられて。

「好きこそものの上手なれ」的な感じです。笑

 

そうして、入部してから半年もしないうちに、9月のコンクールメンバーに選ばれました。

私の学校では、コンクールは通常5・6年生しか出ることが出来ず、入部したての4年生のうちはコンクール以外の演奏会にだけ参加するのが一般的でした。

だけど、私は、入部して間もないのにコンクールに出られた。

今思えば、顧問の配慮だったのかもしれませんが、それでも、嬉しくて嬉しくて……

 

楽器ってこんなに楽しいんだ!

ここにいる仲間となら、一緒に過ごしていて楽しい!

ブラスバンド部でなら、他人より劣らないでいられる!

楽しい!楽しい!楽しい!

 

入部してからは、部活に行くために学校に通っていたようなものでした。

教室は怖いけど、部活なら楽しい。

私の中に新しい世界が出来て、そこが居場所になりました。

 
f:id:ni2ka:20170209232150j:image

 

進級して小学六年生。教室で集団無視を受けました。

同じクラスの友達とすれ違ったことがきっかけで、その友達側にいじめっ子グループが味方して、そのようになったような覚えがあります。

私が部活にばかり熱中していたことがすれ違いの原因だったことも、記憶にあります。

謝ることも許されず、謝っても聞き入れられず、ただただ集団で無視されて、担任に相談しても「チクリ魔」だとまた責められて。

本当に辛かった。先生に相談して、どんな風に手を尽くしてもらっても、集団無視は学校を卒業するまで終わらなかった。

 

そんな時、部活には余計に力が入りました。ただ純粋に部活が楽しかったのが半分と、逃げ場所を求めていたのが半分。

授業間の休み時間には、他のクラスにいる部活の仲間に会いに行って、チャイムが鳴るギリギリまで廊下でお喋りしていました。

部活は味方。教室は敵。

こんな風にして居場所を作って、居場所に恵まれて、最後まで学校に通い続けて、卒業することができました。

 

 

今回はここまでにします。

次は、中学校に入るところから書き始めます。

"嫌われ者"の見る世界

私は、物心がついた頃からいじめられっ子でした。

引越した先の保育園で一緒に遊んで”くれていた”子(幼馴染み)に振り回されて、ほんとは遊びたくもないのにお家に呼ばれて、帰りたくて自宅に電話をかけても、横から無理やり電話を切られてしまうような。

それでも、母親同士で仲が良かったのもあり(母からの圧力はありませんでしたが)、その子と"遊ぶ"ことは避けられず、逆らうことも出来ず、ずっとその子の言いなりになっていました。

 

小学校に入学して、当然のようにいじめられっ子になりました。

私の思い出しうる限り、一方的ないじめでした。

 

図工の粘土をほとんど奪い取られたり、通学帽をよその家の庭に投げ込まれたり、マフラーで首を絞められてペットの犬ごっこをさせられたり。

いじめっ子にとっては、ただ遊んでいるだけのつもりだったかもしれません。だって、すごく楽しそうだったから。

でも、小学生の私には十分すぎるくらいに傷ついて、辛い日々でした。 

 

そんな中で私は、「私はいじめられて当然の人間なんだ」と思うようになりました。

私は他人より劣った人間だから、嫌われても仕方ないし、いじめられても仕方ない。

無理やりそう思い込むのではなくて、自然とそういう風に私の世界観が出来上がっていったような感覚です。

当時はスクールカーストなんて言葉知りませんでしたが、まさにそんな感じで。

私はその底辺にいて、私は底辺の人間だから、私より上にいる人に逆らうなんてそもそも思いも寄らなくて。万が一にも逆らったら、私の教室生活はオワってしまう。

 

それが私にとっての常識で、私の世界の見方でした。


f:id:ni2ka:20170209170631j:image

 

だから、ずっと、教室にいるのが怖かった。

みんなが私のことを嫌いだから。

みんなが私のことを下に見ているから。

そんな場所にいたって、ちっとも楽しくなんてない。教室に行くのがとにかく苦痛で。

教室のみんなに、「私なんかがこの教室にいてごめんなさい」って心の中でいつも思いながら。

例えるなら、教室という水槽で、泳ぎ方も分からずに、ただ溺れているような感覚です。


f:id:ni2ka:20170209170704j:image

 

そんな私にも、息継ぎのできる場所がありました。

小1の冬に声をかけてくれた子と、自由帳を交換して漫画を描いていました。初めての友達です。

そこから少しずつ輪が広がっていって、そうして繋がった友達は、私にとって唯一力を入れずに息のできる相手で、居場所でした。

 

小説を読む楽しさを教えてくれたのも、その子です。

それまで、何となく小説って難しそうな気がして読めないでいたのですが、その子が貸してくれた本が面白くて、一気に本の世界にハマっていきました。

はやみねかおるさんの夢水清志郎シリーズ、「絡繰館のかぞえ唄」だったと思います。

 

友達や本のお陰で、教室で溺れながらも辛うじて息ができて、学校に通い続けられていたんだと思います。感謝しかありません。

  

機巧館のかぞえ唄 名探偵夢水清志郎事件ノート (講談社青い鳥文庫)

機巧館のかぞえ唄 名探偵夢水清志郎事件ノート (講談社青い鳥文庫)

 

 

私の通っていた小学校は、4年生から部活動がはじまります。

その友達から、「ブラスバンド部入らない?」と声をかけられました。

正直、すごく入りたかった。その友達と一緒に部活がやりたかった。

けれど、例の幼馴染みから一緒にバトン(トワリング)部に入るように言われていた私は、本心と義務感の間で葛藤して、悩んで、悩んで、結局その1年は帰宅部になりました。

決められなかったのです。

 

それから1年間、ブラスバンド部もバトン部も、ずっとそれぞれに誘われ続けました。

次第に、幼馴染への厭わしさと、ブラスバンド部で友達と活動することへの期待が高まり、最終的には幼馴染に絶交を叩き付けて、5年生の春にブラスバンド部に入部しました。

母や友達に相談し続けて、やっと決められたのです。

 

今思い返しても、よく思い切ったなぁと思います。笑

友達の存在がなければ、幼馴染みに対して絶交しようなんて思いもしなかっただろうなと思います。

 

今回はここまでにします。

次回は、ブラスバンド部に入部したところから書き始めます。

「私」を書きはじめる前に

「私」のカテゴリを書き始めるにあたって。

 

これまで私と関わった人々のことや、その出来事を、たくさん書き込んでいきます。

嬉しかったことも、楽しかったことも、嫌だったことも、辛かったことも、その時の私が感じた感覚を出来る限り思いだしながら、そのままに書いていこうと思っています。

傷ついていたら、傷つきましたと書きます。

だけど、それはあくまでその時の私が感じた感覚だということを、心のどこかに留めておいてください。

 

もしかしたら、相手は、私を傷つけようなんてちっとも思っていなかったかもしれないなと、今の私はそう思えます。

私がこのブログで「傷付いた」と言ったら、私を傷つけた人のことを逆に傷つけたり、怒らせたりしてしまうかもしれない、とも思っています。

 

だけど、書きます。そういうことを書かないと、最後に私が一番伝えたいことに、説得力が出ないからです。

ただ、いろんなエピソードを綴る中で、具体的にどんなことがあったのかを書く部分があります。これは、そのひとつひとつを伝えることが目的ではなく、そこで私がどう感じたかを具体的に伝えることに主眼があります。

ただの辛かった・楽しかったの思い出話がしたいのではないということを、ご了承ください。

 

その上で、私の文章に傷つけられたり怒りを感じたりして、記事を取り消してほしいと思うのであれば、以下のアドレスにご一報ください。真剣に向き合った上で、すぐに取り消します。

panpinobambi◎gmail.com(◎→@)

 

長々と前置きをしました。それだけ、私には覚悟のいる内容です。

だけど、実際読んでみたら「なんだ、よくある話じゃないか」なんて思われてしまうかもしれません。実際、そうなのかもしれません。

それでも、書きます。そのつもりではじめました。

 

次の記事から、気長に書き始めます。

なかなかオチのつかない、長い長い投稿になると思います。

それでも、今の私は、日々を明るく楽しく精一杯に生きています。必ず救いのあるお話にはなりますので、よければどうぞ最後までお付き合いください。


f:id:ni2ka:20170209155956j:image

 

p.s.文章ばかりでは読みにくいと思うので、イラストを添えながら投稿したいと思います。自筆です。

はじめに

はじめまして、白川ににかです。

このブログをはじめたのは、私が最近になって掴んだものを、どこかに書き留めたい!という強い衝動があったからです。
ただ、それを掴むにあたって、21年の人生の総振り返りをすることになってしまったので、もうこれはブログで連載するしかない、と。笑
なので、このブログは、なるべく当時の感覚や目線を思い出しながら、私の小学生時代から、私の生涯を振り返るところからはじめたいと思っています。

なんの変哲もないふつーの人生で、今思えば、ありがたいことに大変恵まれた人生です。

こんなの書いて、一体誰のためになるんだろう。
自己満足に過ぎないかもしれないし、誰のためにもならないかもしれないけれど。
でも、まずは、自分のために。
そして、あわよくば、少し前の私のように苛まれている誰かの「お呪い」になれるように。
ブログ、はじめようと思います。

~~~~~~~~~~

延々と自己紹介をしていくようなブログではあるのですが、ざっくりと自己紹介をしておこうと思います。

▷名前 白川ににか
▷生まれ 1995年
▷大学生です。日本文学について研究しています。卒論は源氏物語を扱います。……たぶん。
▷高校の国語科教員を目指しています。
▷甘いもの、大好きです。
▷ずっと吹奏楽・オーケストラを続けています。楽器はホルンです。
▷お絵かきや写真も好きです。かつてはアメブロで絵を更新していました。今はTwitterに載せています。
アメブロ ぱんぴのばんび
Twitter ににか (@ni2ka) | Twitter

私が日々感じた事とか、好きなものの紹介なんかも、投稿出来たらいいなーと思ってます(*^^*)


それでは、なるべく長い旅になるように祈りながら。

2017.2.8 白川ににか