日々とおまじない

それでも書く

"嫌われ者"の見る世界

私は、物心がついた頃からいじめられっ子でした。

引越した先の保育園で一緒に遊んで”くれていた”子(幼馴染み)に振り回されて、ほんとは遊びたくもないのにお家に呼ばれて、帰りたくて自宅に電話をかけても、横から無理やり電話を切られてしまうような。

それでも、母親同士で仲が良かったのもあり(母からの圧力はありませんでしたが)、その子と"遊ぶ"ことは避けられず、逆らうことも出来ず、ずっとその子の言いなりになっていました。

 

小学校に入学して、当然のようにいじめられっ子になりました。

私の思い出しうる限り、一方的ないじめでした。

 

図工の粘土をほとんど奪い取られたり、通学帽をよその家の庭に投げ込まれたり、マフラーで首を絞められてペットの犬ごっこをさせられたり。

いじめっ子にとっては、ただ遊んでいるだけのつもりだったかもしれません。だって、すごく楽しそうだったから。

でも、小学生の私には十分すぎるくらいに傷ついて、辛い日々でした。 

 

そんな中で私は、「私はいじめられて当然の人間なんだ」と思うようになりました。

私は他人より劣った人間だから、嫌われても仕方ないし、いじめられても仕方ない。

無理やりそう思い込むのではなくて、自然とそういう風に私の世界観が出来上がっていったような感覚です。

当時はスクールカーストなんて言葉知りませんでしたが、まさにそんな感じで。

私はその底辺にいて、私は底辺の人間だから、私より上にいる人に逆らうなんてそもそも思いも寄らなくて。万が一にも逆らったら、私の教室生活はオワってしまう。

 

それが私にとっての常識で、私の世界の見方でした。


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だから、ずっと、教室にいるのが怖かった。

みんなが私のことを嫌いだから。

みんなが私のことを下に見ているから。

そんな場所にいたって、ちっとも楽しくなんてない。教室に行くのがとにかく苦痛で。

教室のみんなに、「私なんかがこの教室にいてごめんなさい」って心の中でいつも思いながら。

例えるなら、教室という水槽で、泳ぎ方も分からずに、ただ溺れているような感覚です。


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そんな私にも、息継ぎのできる場所がありました。

小1の冬に声をかけてくれた子と、自由帳を交換して漫画を描いていました。初めての友達です。

そこから少しずつ輪が広がっていって、そうして繋がった友達は、私にとって唯一力を入れずに息のできる相手で、居場所でした。

 

小説を読む楽しさを教えてくれたのも、その子です。

それまで、何となく小説って難しそうな気がして読めないでいたのですが、その子が貸してくれた本が面白くて、一気に本の世界にハマっていきました。

はやみねかおるさんの夢水清志郎シリーズ、「絡繰館のかぞえ唄」だったと思います。

 

友達や本のお陰で、教室で溺れながらも辛うじて息ができて、学校に通い続けられていたんだと思います。感謝しかありません。

  

機巧館のかぞえ唄 名探偵夢水清志郎事件ノート (講談社青い鳥文庫)

機巧館のかぞえ唄 名探偵夢水清志郎事件ノート (講談社青い鳥文庫)

 

 

私の通っていた小学校は、4年生から部活動がはじまります。

その友達から、「ブラスバンド部入らない?」と声をかけられました。

正直、すごく入りたかった。その友達と一緒に部活がやりたかった。

けれど、例の幼馴染みから一緒にバトン(トワリング)部に入るように言われていた私は、本心と義務感の間で葛藤して、悩んで、悩んで、結局その1年は帰宅部になりました。

決められなかったのです。

 

それから1年間、ブラスバンド部もバトン部も、ずっとそれぞれに誘われ続けました。

次第に、幼馴染への厭わしさと、ブラスバンド部で友達と活動することへの期待が高まり、最終的には幼馴染に絶交を叩き付けて、5年生の春にブラスバンド部に入部しました。

母や友達に相談し続けて、やっと決められたのです。

 

今思い返しても、よく思い切ったなぁと思います。笑

友達の存在がなければ、幼馴染みに対して絶交しようなんて思いもしなかっただろうなと思います。

 

今回はここまでにします。

次回は、ブラスバンド部に入部したところから書き始めます。