日々とホルン
中学に進学しました。私の住んでいた地域では、私の通っていた小学校と隣の小学校の生徒がほぼ全員同じ中学校に進学します。
部活の仲間も、いじめっ子も、みんな一緒に進学しました。
だけど、学年の人数が倍以上になったので、いじめっ子との距離は自然に離れ、暫くはいじめっ子の脅威から離れることが出来ました。
そのお陰で、1・2年生の間は教室でも比較的安定して過ごすことが出来ていたと思います。
同じクラスに部活の友達もいたので、その子を中心にクラスに居場所を作ることが出来ていました。居場所の外にいる子と話すのは、変わらず怖かったですが。
その頃は、「教室は敵」みたいな感覚は薄かったと思います。
それでも、部活動の時間は毎日恋しかった。
中学はブラスバンド部は無かったので、オーケストラ部に入りました。
アルトホルンも無かったので、ホルンを選びました。
名前が近いからというのもあったんですけど、それ以上に、なんというか、運命を感じたというか。笑
顧問には歯並びや口の形を指摘されて向いてないって言われたんですけど、形とか、音とか、もうこれしかない!!って思ったんですよね。
この日以来、大人になってもホルンを続けることになります。そして、適性のなさを自覚していくのはもう少し後のお話です。
ホルンパートは先輩の数が少なかったので、1年生でしたが早速コンクールに出ることになりました。
当時の私には有り得ないくらい低い音域のパートを任されて、でも、それだけ難しいパートを任されることが嬉しくて。
ブラスバンドより遥かに大きくなったオーケストラの音の渦に飲まれながら、毎日のめり込んで練習していました。
J.ブラームス/交響曲 第2番 ニ長調 第4楽章 Allegro con spirito - YouTube
この時の2つ上の先輩(3年生)に、私はもうめちゃめちゃ憧れていました。
ほんわかした雰囲気の人で、ホルンの音色がすごく綺麗で、パート内の交換日記に書くイラストがすごく可愛らしくて……
ああいう風になりたい!って思った初めての先輩です。
演奏に関する影響はさることながら、私が今みたいなイラストを書くようになったきっかけも、その先輩です。
私の今の趣味の方向性は、その先輩に憧れたことに大体の要因があります。笑
ホルンの先輩以外の先輩も素敵な人ばっかりで、1年生の時は同期のコンクールメンバーは少なかったものの、いや、だからこそ、どんどん部活に傾倒していったんだと思います。
そうして練習を続けていくうちに、先生や先輩や同期に自分の演奏を褒めてもらえるようになりました。自分でも、上手くなっていく実感がありました。
先生の勧めもあって、2年生の冬にソロコンクールに参加しました。曲はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」
Pavane by Ravel for French Horn, Steve Park, Horn - YouTube
ハイトーンがなかなか当たらなくて苦戦したのですが、なんとか本番に出て、結果は優秀賞。
県大会出場は叶わなかったものの、金銀銅でいう金賞を取れた私は、自分の演奏がコンクールで認められたことが嬉しくて、さらに自信を持つようになりました。
正直に告白すると、天狗になっていました。
県大会へは、私の一つ前に演奏していたホルンの男の子が出場しました。そして、パヴァーヌは後に因縁の一曲になります。
結局、部活のために学校に通うというのは、中学に入っても変わらなかったのですが、勉強もちゃんとがんばっていました。
オーケストラ部の友達(ほとんどブラスバンド部の仲間と変わらないメンツですが)は頭のいい人が多くて、その環境が励みになっていました。
もう、どう思い返しても、中学1・2年の頃は部活の記憶しかほとんど思い出せません。
それくらい、私の全てだったんだろうなぁ。
あとは、オタクに目覚めたことでしょうか。厨二病ですね。当時更新していたブログがまだ残っているのですが、痛々しくてほんと見るに耐えない……笑
そして、学年が3年生に上がると、そのブログには鬱々とした感情が吐露されるようになるのでした。
次回からは、当時のブログの記事を引用しながら書いていこうと思います。