日々とおまじない

それでも書く

独りの殻

3年生になりました。部活で仲良しの子とは同じクラスになれませんでした。

それでも、なんとか教室に居場所を作って、修学旅行で同じ班を組めるような友達ができました。

その修学旅行以来、同じ班だった子達から無視されるようになりました。

 

色々とそれらしい理由を考えたりしましたが、今でも理由はよく分かっていません。修学旅行中は楽しく過ごしていたはずなのに、突然無視されてしまったんです。

何が何だかよく分からないけれど、理由を聞こうにも無視されるから聞けない。ていうか、怖くてそんなこと聞けない。

ただひとつ、確信を持っていたことは、「私が何かいけないことをしたから嫌われたんだ」ということでした。

 

それ以来、曖昧に存在していた自己卑下の感情が決定的になって、ひたすらに自分を責め続ける日々がはじまりました。

 
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 ににか on Twitter: "苦しい http://t.co/jqSL1qyOQy"

 

小六の時みたいに、クラス全員に無視されていたわけではありません。手を差し伸べてくれた子もいました。それでも、素直に「ありがとう」とは思えなかった。

大きかったのは、気を使ってもらっていることによる惨めさでした。そう思ってしまう自分のことも、また責めていました。

 

秋の合唱コンクールはクラス対抗だったのですが、伴奏を担当していた私はクラスのみんなを引っ張る立場になりました。みんなついてきてくれて、一緒に学年一位に向かってがんばって。

結果は二位でみんな心から悔しがっていたけれど、心から喜んでいました。

私も嬉しかった。みんなが私の言葉を信じてついてきてくれた。

 

だけど、私の中で、それは合唱コンクール限定の出来事でした。合唱コンクールだったからみんな私のことを信じてくれたし、私もコンクール関連でならみんなに話しかけることができた。

でも、合唱コンクールが終わったらおしまい。コンクールが終わったその日のHRで「みんな今までありがとう」って頭を下げて、再び独りの殻に閉じこもりました。 

 

みんなのことを嫌いになったわけではなく、こんな私なんかと本当はみんな関わりたくないんだろうなっていう気持ちだったんです。

そんな、過剰な自意識や被害妄想の世界から、私は抜け出せなくなっていました。

 
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そんな時の逃げ場所は、やっぱり部活で。

部活では、自分を受け入れてくれる仲間がいて、演奏することそのものが楽しくて、優越感の心地よさにまで浸ることができる。

教室では居場所を失って劣等感に苛まれていた私にとって、部活の時間は、学校生活における唯一で最大の救いで、居場所でした。

最後のコンクールには、全国大会にまで出場することができました。あれはもう、めちゃめちゃ嬉しかったなぁ。今でもその時の記念品を部屋に飾っています。

 

教室はひとりでに息苦しい場所になり、部活に対する執着はますます強くなっていきました。

 

前回の記事で、当時のブログ記事を引用すると言いましたが、結構長かったので、次の記事で抜粋して引用します。

予告しておきますが、けっこう厨二臭いです。今見ると、ウワァァァ…って気持ちになります(笑)

でも、なんだか読んでいて面白くなってきちゃったので、いくつか抜粋してそのまま載せちゃおうと思います。

当時の切羽詰まってる感じとか、いっぱいいっぱいな感じが、そのまま書き殴られている感じです。それでは。