私と「二十九歳」 その1~構造編~
こんばんは。
早速ですが、前回の記事の続きです。
Base Ball Bear「二十九歳」についてお話ししたいと思います。
2014年の今日がリリース日だったんですね!!勢いで書いてよかった。笑
まずは何でもいいので、一曲でもいいから聴いてくれぇ~~!!!
どの曲もまず音楽がとっても良いので!!!
ではでは・・・解釈していきますね。
⓪図解
私がこのアルバムを解釈すると、下図のようになります。
今回の記事は解釈をメインに、時折鑑賞も混ぜて私の視点から「二十九歳」というアルバムについて語り尽くせたらいいなぁ~!!と思っております。
・・・熱量スゴイよ。
では、いきましょう。
➀何才
年齢の意味もあるけど、「才能」や「才覚」の「才」でもあるんですよね。
アルバムタイトルは「歳」なのに、ここで「才」を使っているのには意味があると思います。そこで、「才」という字は、新漢語林によると以下に解字されます。
川のはんらんをせきとめるために建てられた良質の木の象形で、もともと備わっているもちまえの意味を表す。
だから、「何を持ってるの?(=どんな人なの?)」というタイトルなのかなと思います。
澱みからメロンソーダまで翔け抜けたい
というのは、「(世の中を)上から下まで全て見尽くしたい」という意味だと思います。
理屈でも魔法でもなく、自分の目で全て見尽くして歌にするぞ!という、こいちゃんからのメッセージ・宣言にあたる曲だと解釈しました。
②アンビバレントダンサー
ambivalentとは、ジーニアス英和辞典によると以下の意味だそうです。
どちらとも決めかねる,相反する(矛盾する)感情を同時に持つ,アンビバレントな,両面価値的な
そのまんまですが、「誰しも両面があるよね」という歌だと解釈しました。
嘘だけどTruth 本当だけどFalsehood
嫌いだけどMiss you 好きだけどHate you
大体すべてTruth 大体すべてFalsehood
そして「全てを見尽くす」と宣言したこいちゃんは「踊れ(=自分の身体を動かせ=行動しろ)」って言ってるんですよね。
ずっとアンビバレンス どちらとも言えるけど
明日が一体どこへ向かおうが
君のままで踊れ
私は、今でもついつい「0・100思考」をしてしまいます。良いか悪いか。完全か不完全か。物事の両面・外側しか見ることができなくて。
その原因は虐めを受けた過去にあり、「自分は嫌われる人間だ」と自分を「0」にカテゴライズするという思考法をしていました。「0」のような虐めの辛い経験と「100」のような音楽や友達との楽しい経験を経た私は、まさに「敵味方敵味方のミルフィーユ」状態でした。
でも、みんなその間で揺れ動いていて、それが普通なんですよね。本当は、私も揺れ動いているし…。ここ十年くらいで、やっとそのことが分かりかけて来ました。
初めからすんなり理解出来て、この曲を聴いて「当たり前じゃん。何がおもしろいの?」って言える人がいたら、とっても羨ましいです・・・・・・。笑
*その1まとめ
このアルバムは「何才」と「アンビバレントダンサー」の2曲が骨格のような役割を果たしています。「何才」が「上下」、「アンビバレントダンサー」が「右左」のような感じです。
ここの骨格にそれぞれの曲が配置されていて、さらにそれを「他者の視点(=ERAい人)」と「客観視(=The Cut・The End)」から見て歌っている。
そこにさらに「自分の視点(青色の5曲)」を歌いこんでいる。
・・・という構造かなと解釈しています。
このまとめを書いちゃってもう満足した感じもありますが、次回は骨格内の曲について書いていけたらいいな…。
構造編はしっかり書きましたが、この後はもう少しラフに短く書ける予定です。予定。
おまけ。
「踊る(=行動する)」って言葉、BBB以外にも使ってる歌手いるよなーと思って。
星野源さんもそうですよね。
うちで踊ろう ひとり踊ろう
変わらぬ鼓動 弾ませろよ
生きて踊ろう 僕らそれぞれの場所で
重なり合うよ (うちで踊ろう)
錆びた日々の片隅で
二人きりでダンスを 踊ろう
悲しい嬉しい苛立たしい
何もかも間違えて 踊ろう (Pair Dancer)
あと私は実はラブライバーなのですが、Aqoursの「夢を語るよりユメ歌おう」の「歌う」も「行動する」の意味が込められているのかなと思います。
ユメを語る言葉より ユメを語る歌にしよう
それならば今を伝えられる気がするから
他にも、似たような言葉遣いはたくさんあると思います。BBBの曲にももっとたくさんあると思うし。