私と「二十九歳」その3~視点の変化編~
マイペースに続けていきます。
前回の続きです。
今回は次の5曲の解釈をしていきますね。
⑦The Cut
この「Cut」は「切る」という意味です。私は、映画監督がシーンの終わりに叫ぶ「カーット!」のイメージが強いです。
そして私は、ここまでの6曲がそれぞれ映画のシーンのようになっていて、カットがかかって収録が終わる=現実世界に戻るような構造になっていると解釈しました。
とはいえ、細かい解釈は置いておくにしても、とにかくこの曲はカッコイイので!!!PVもカッコイイ!!!
そう、君の目で見つめな すべてを
そう、君の目で見いだしな すべてを
Let's cut! (cut!) Up! (Up!) Chop! Flip! Slice!
この世界の正体は僕らのeyes
この世界のすべては、人々の主観の集合体だという見方です。たしかに~~
上下で二つの映像が流れていますが、それぞれ視点が違うだけで同じスタジオの映像なんですよね。視点の違いで見える世界が違うっていう、歌にリンクしためちゃカッコエエ~~~~PVです。
⑧ERAい人
カットがかかって、この曲はシーンの外にいるオーディエンスの視点です。
The Cutにも出てきた「ERAい」というのは「ERA=時代」のもじりですね。
で、この曲はとっても短くてとってもウルサイ、ギャーギャーした曲になっています。
これはちょっと批判的な意味合いもあるんじゃないかと思っていて……当時のインタビュー記事でこいちゃんが「それなりのBPMで4つ打ち」の曲から脱却したいって言ってるんですよね。
今のギターロックシーンでは“それなりのBPMで四つ打ち”っていうスタイルが主流なんです。(中略)今ではフェスで騒ぐためのツールみたいになってきた。(中略)でも僕、もういいかなって思ってるとこがあって。お客さんが“それなりのBPMで四つ打ち”みたいな曲を求めてても、僕たちは自分の思うカッコいいギターロックを追求するべきだと思ったんですよ。
Base Ball Bear「二十九歳」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー
そして歌詞を見ると、同調圧力の権化みたいな曲になっている(笑)
ERAい”僕たち”は 同じ人になりたくて
ERAい”僕たち”は 同じ人を敵にして
ERAい”僕たち”は 同じ流れに乗りたくて
ERAい”僕たち”は ERAいと疑わなくて
で、この「僕たち」って誰なんでしょうね。
スマホを買ってほしい小さな子供が、友達の数人だけを挙げて「”みんな”持ってるもん!」って主張するような。
⑨方舟
カットがかかって、この曲は「ERAい人」とは反対側にいる人、恐らくこいちゃん自身の視点だと思います。
「ERAい人」とは対照的に、静かでゆったりとした短い曲です。
ここまでの曲を振り返りながら、一人で漂う様を描いています。
ゆらゆら漂う
波と波の隙間でひとり
舟を漕ぐ
行き交う数多の
豪華客船や
幽霊船や
泥船や
豪華客船はファンファーレがきこえる、幽霊船はGHOST TOWN、泥船はERAい人かなぁ……と思っています。どうだろう、微妙だな。
下の歌詞がとっても共感できて、好きです。
僕以外間違いか
僕が間違いか
気にしたり 気にしたり
くり返して
勘違い場違いすれ違いを
気にしたり 気にしたり
くり返して
⑩The End
方舟で漂って辿り着いた先がここだった、という解釈です。
この曲もここまでの曲を振り返っています。
幽霊の町や
戦った日々のことを
とはいえ、この曲も、そのまま聴いただけで良い曲ですよね。
終わりはそう、終わりじゃない
緞帳の奥は暗闇じゃない
エンドロールは走馬灯じゃない
物語に終わりなんてものはない
「めでたしめでたし」じゃない
僕の生活は終わらない
そして、ラスサビはもう少し以下のように続くのですが、この部分がこの後の曲をこいちゃん視点の曲であるとして定義づけているように思います。
終わりはそう、終わりじゃない
ラストシーンはスタートラインでしかない
「昔々の話」じゃない
僕の人生は つづくつづく
⑪スクランブル
この曲は「アンビバレントダンサー」みたいな感じですよね。
改めて両極端な世界観を定義づけて、自分の視点はその真ん中にあると定義づけている。
まじわる光と影
僕は真ん中を行って
かさなる光と影
その向こうにある普通を感じたい
「The End」と「スクランブル」で定義づけた上で、残りの5曲に続いていきます。
*その3まとめ
今回が一番ややこしいところだったと思うので、図を見て改めてご理解いただけたらと思っています・・・!
本当に、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
次回で最終回です。こいちゃん視点のラスト5曲、語っていきますよ~~!!!