日々とおまじない

それでも書く

がむしゃら

お久しぶりです。お久しぶりに"なってしまった"感じですね…笑

教採の勉強などなどで時間も心もいっぱいいっぱいでした。それでも書くので、お暇な時に見てもらえると嬉しいです~~

絵は描いたらそのうち足しておきます。ひぃ。

では続きからどーぞ。

 

~~~~~~~~~~

 

大学生になりました。周りは知らない人ばっかりです。

とにかく新しい環境に飛び込んで、いろんな人に話しかけました。電車で一緒になった高校の同級生(あんまり話したことなかった子も)、入学式やオリエンテーションで隣の席の子、同じ講義をとっている子……

「大丈夫、怖くない」を、できる限り実践していました。がむしゃらにでも前を向けるように。

今思えば、変わった人だなぁと思われていたかもしれません。笑

 

サークルにも入りました。

私は大学のオーケストラに入る気満々で入学していました。そのために志望校選んだ一面もあって。

だけど、結局、吹奏楽団に入ってしまったのです。ほとんど勢い。オケの見学にも行ったのですが、先輩がちょっと無愛想で怖くて…笑

合わなかったらやめよー、くらいの気持ちで吹奏楽団に入って、結局、最後3年生の冬に卒団するまで、吹奏楽団を続けることになります。

 

サークルでも、「大丈夫、怖くない」をモットーにしていたら、気がついたら同期の引っ張り役みたいなポジションになっていました。

え、こんな役回り全然やったことないし、たぶん向いてない。どうしよう。でも、やるしかないし…

きっと成長するいい機会だと思って、不安だけどあくまで前向きにやっていこうと、なんとかそのポジションに食らいついていました。

 

上手くいかないことも、嫌になってしまうことも、サークル辞めたくなったこともありました。私が弱かったから。

ポジションについたからって、いきなり強くなれるわけじゃない。

たくさん失敗しました。たくさん後悔しました。みんなが私のこと信じてくれてる自信もあんまり無かった。「大丈夫、怖くない」のおまじないが効かなくなることもありました。嫌になることも辞めたくなることもありました。

でも、やるしかなくて、がむしゃらにがんばってました。

 

そして、その勢いのままに、団長になってしまいました。

団長に決まった頃、私はサークルに対して気持ちが乗っていませんでした。他の同期が楽器のパートごとに仲良くしている中、ホルンパートの同期は多忙で休みがちだったので、同期に対して所在無さを感じていました。

平気なふりをしていたけど、やっぱどこか寂しかった。そのしんどさが積もってきた頃で。

 

今でも、どうしてあの時に団長になろうと思ったのか、よく分かっていません。私しかやる人いないだろうなって思ってたからかもしれない。

でも、決まったからにはやるしかない。逃げようともしたけど、結局向き合って、目標を立てました。

みんなが楽しめるサークルにしたい。吹奏楽に全力を注ぎたい子も、バイトや学校の授業と両立したい子も、みんなが楽しめるようにしたい。

そしたら、まず私が楽しんでなきゃみんなが楽しめない。

 

そんな時に力を貸してくれたのが、音楽の力です。

たとえ私が人間関係で居場所を見失っていても、合奏に乗ってしまえば楽しかった。大学の吹奏楽団は高校の吹奏楽部より圧倒的に人数も多くて、一人ひとりが本当に楽しんで演奏していたから、私もつられるように楽しめたんです。

どんどん吹奏楽の演奏にのめり込んでいきました。

 

団長として、というよりも、一人の団員としてがむしゃらにやっていくうちに、少しずつ居場所が出来ていきました。

いちいちおまじないを唱えなくても、団員の誰にでも声をかけられたんです。

吹奏楽団の存在そのものが、私にとっての居場所になっていきました。

「怖くない、大丈夫」

高校3年生になる前、ひとつ覚悟を決めました。

私の高校の吹奏楽部は、2年生の3月で引退です。居場所だった部活には、もう戻れません。受験生だし。

だから、教室に居場所を作ろうと、心に決めました。

あんなに怖かった教室だけど、吹奏楽部を居場所に出来たから、もしかしたら教室も居場所に出来るかもしれないって思って。

 

9月にある学校祭の一環である合唱祭で指揮者になることを目標に、教室に居場所を作ろうと決めました。

すぐに人気者とまではもちろんいかないのですが、教室で一緒にお弁当を食べたり、一緒に教室移動が出来るような友達が、3人出来ました。合唱祭の指揮者にも、立候補できました。

大丈夫、怖くない。気を遣われていても、大丈夫。みんな優しい人だから、怖くない。大丈夫。

そうやって心の中で唱えながら、教室に場所を作っていきました。


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一学期最初の面談で、担任の先生に「雰囲気変わったよね。去年は暗い顔してたから心配してた」って言われて、思わず泣きそうになってしまいました。

その先生は2年・3年と続けて私の担任だったのですが、暗く落ち込んでいた私も、そこから変わっていく私も、ちゃんと見ていてくれたことが嬉しくて。

このことが自信に繋がりました。

 

合唱祭は、とにかく全力でがんばりました。後悔しない演奏にしたくて、何とかみんなにも楽しんでほしくて。1人で突っ走ってただけかもしれないんですけど。

それでも、最後にはみんなが優勝したいって思ってくれてて。本番前日に、「私の指揮を信じて、ついてきて」って、みんなに言うことができて。

本番は楽しくてあっという間だったけど、結果にはなりませんでした。入賞すらしなかった。

だけど、吹奏楽部のOBの先輩をはじめ、いろんな人に「良かったよ」って褒めていただけて、何より、自分たちが「楽しかった!」って終えられたのがほんとに、良かったなぁと思えて。

ここから、「怖くない、大丈夫」のおまじないが、確かなものになっていったのでした。

 
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受験生なので、勉強もしなきゃいけません。

たとえやる気が湧かなかったとしても、部活引退して春になったら受験生なわけで、目の前の問題集にしがみついて勉強していました。

 

そんな時の6月、学年集会が開かれました。私の学年は模試や定期試験の結果が奮わなかったらしく、そのための学年集会です。

その時、進路担当の先生(苦手な先生なのですが)が怒鳴りながら言っていたことに、ハッとしたんです。

 

社会に出るために勉強してるんだ、と。

社会に出た時に、ちゃんと頭使えるように、今ここで勉強してるんだ、と。

学校の中だけで順位を競ったり優位についたりするために勉強してるんじゃないんだってことを殴りつけるように言葉で叩き込まれて、あぁ、勉強しなきゃなって心から思えた。

勉強することの本当の意味に気付かされて、この日から全力で勉強に取り組めるようになりました。

このあたりから、学校の先生を目指し始めています。

 

必死に勉強した甲斐あって、第一志望の大学に合格することができました。

次の記事では、大学に入学したところから始めたいと思います。

本当の楽しさ

高校1年生の10月。夏のコンクールと文化祭での演奏を終えると、アンサンブルコンテストの練習がはじまります。

なんだかんだでここまで続けちゃったけど、アンサンブルが終わったら退部しよう。本気でそう思ってたしそう決めてました。

ホルンを嫌いになったわけではありませんでしたが、吹奏楽をどうにも好きになれなかったし、部活を居場所にすることが出来なかったのです。

 

そうして始まったアンサンブル練習。

最初は正直全然パッとしなかった。いわゆる2軍的なチームだったし。無難に凌いで退部しようって思ってました。

 

実際に練習が始まった時。結構しんどかったというか、苦痛でした。いわゆる"声の大きい"同期のチームメイトの価値観に全然ついていけなくて、その子に対する苦手意識もありました。これもアンサンブル終わるまでの我慢と思ってやり過ごそうとしていました。

けれど、リーダー格の先輩が練習メニューをいろいろと組んでくれて、基礎練習を体系立ててやるようになってから、「これなら続けられるかもな」って思ったんです。元々そういうのが好きだったんですね。 

これが、私が吹奏楽部に馴染み始めたきっかけです。

 

この時選んだ曲は「てぃーちてぃーる」でした。

 

てぃーち・てぃーる/金管八重奏/酒田吹奏楽団 - YouTube

 

沖縄民謡をジャズアレンジにした、陽気に陽気を掛け合わせたような曲です。ホルンも結構美味しい曲です。笑

少しずつアンサンブルメンバーに親しんでいく中で、練習メニューの中に「曲に合わせて踊る」とか「歌ってみる」みたいなのを取り入れはじめた頃に、久々に「演奏楽しいな」って思えたんです。

 

コンクールでは金賞を受賞しました。

その頃には「退部しよう」って気持ちはほとんど無くなっていました。「まだ続けたいな」って気持ちが膨らんでいたのです。

 

1月にアンサンブルのコンクールを終えて、3月末の定期演奏会に向けて再び全体合奏の練習を始めたとき。

ちゃんと楽しめていたんです。自分より上手い人とも、オケとも、比較せずに。

小編成のアンサンブルを通じて、演奏することそれ自体の楽しさを再発見していたのです。

定期演奏会を終えた4月、やっと私は「吹奏楽部員」としてスタートすることが出来たのでした。

 
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9|ぱんぴのばんび

 

2年生になって、自分たちの代が部活を引っ張っていくようになりました。この時には、部活がすっかり自分の居場所になっていました。あんなに辞めたい辞めたいって言ってたのが嘘のようだと、当時も思っていました。

パートリーダーでしたが、自分より上手い人にソロや1st等を任せることを、躊躇わなくなっていました。自分より上手いという事実をちゃんと受け止めることが出来たのです。

 

そしてこの年の冬、ソロコンクールに挑戦しました。曲は「亡き王女のためのパヴァーヌ」。中二の時にもソロで挑んだ曲です。

中学校時代に固執していた自分に決着を付けたかったのです。そう決心ができるくらい、立ち直ることが出来たのです。

 

自ら願い出ましたが、同期の反応は正直渋かったです。やっぱり、自分はあんまり上手くなかったので。

それでもやるって言って、何とかがんばって練習して、それでも上手く吹けませんでした。たぶん、三年前より下手だった。ハイトーンが全然あたらなくて。結局、本番も上手くは吹けませんでした。銀賞でした。

 

あの頃みたいな絶対的な自信は、もう持っていなかったのです。音には自信がよく顕れるなぁと痛感しました。

上手く吹けないことへの恥ずかしさと、それでもやってよかったという満足感が同時にあって、自分がここまで折れてきたことに対して、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになりました。

そして、ふんわりと、「私はここまで変わってしまったんだな」という実感が湧いたのでした。

 
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そして、引退前の最後の演奏会である定期演奏会にて、顧問の意向で「亡き王女のためのパヴァーヌ」の吹奏楽編成版を演奏することになりました。ホルンソロもしっかりと用意されています。

このホルンソロの部分を、同期の3人で分担して演奏することになりました。私の演奏は、他の2人の演奏に比べて、お世辞にも上手いとは言えなかったと思います。でも、不思議と、それでもいいんだと思えたのです。ほんとは良くないけど。笑

良くないけど、いい。

3人それぞれのソロがそれぞれに個性的で、それだけでも、良かったなぁと思えたのです。

自分が上手くないことを、過度に卑下しなくなっていたのです。

 

定演ではパヴァーヌ以外にもたくさんの曲を演奏して、みんなで演奏会を創り上げていく時間が楽しくて、あっという間に終わってしまいました。お客さんもたくさん来てくれました。

ものすごく達成感があった。あの時、部活辞めちゃわなくて本当に本当に良かったと、心の底から思って感動した。

そして、それが私ひとりの力ではなく、辞めたかった時に相談に乗ってくれた友達や、アンサンブルチームとの出会いや、先輩・後輩・同期のお陰であることを、確かに実感できたのです。

 

そして部活を引退して3年生。受験生であり、高校生活最後の1年について、次の記事で書きます。

怖い

高校に入りました。

小学校から中学校に上がる時とは違い、高校は他の学校出身の子の方が圧倒的に多かったです。

幸いにも、小中と仲良くしていた部活の仲間はほとんど同じ高校に進学しました。

 

顔も名前も知らない子がほとんどを占める教室に入った時、ここから新しい生活を始められるかもしれない…!と最初はワクワクドキドキしていました。真面目で素朴な校風の進学校を選んで進学したので、きっと大丈夫だろうと思っていました。

だけど、だんだん怖くなっていきました。どうしても、教室に対する”怖い”という感覚が拭えないのです。

 
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 5|ぱんぴのばんび

 

これが自分の思い込みや考えすぎであることも、分かってはいるんです。ちゃんとイメージ通りの校風だったので、いじめっ子なんていなくて、クラスメイトが本当はしい善良な人ばかりなのも肌で感じて分かってはいるんです。

でも、どうしても、ダメで。

どんどん他人が怖くなっていきました。

 

そうやって思い込む自分のこともまた責めて、全部全部自分のせいで、でもどうしたらいいか分からない。

自分で自分のことを「鬱」だと"診断"して、そのことを心の疲れの捌け口にして、なんとか立っているような気になることで精一杯でした。

 

教室では、”気を遣って”接して"くれている"子と一緒に過ご"させてもらって"、なんとかやり過ごしていました。

文化祭の打ち上げでは、誰に何をされたわけでもないのに、その場にいるだけで辛くなって突然泣き出してしまいました。

ただただ、私が相変わらず被害妄想や過剰な自意識に囚われていたのです。そして、そこからの抜け出し方も分からなかったのです。

 
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11|ぱんぴのばんび

 

部活でも、上手く行きませんでした。

高校にはオーケストラ部はなかったので、吹奏楽部に入ることになりました。

入った当初は、やっぱりオケの方がいいなぁって思っていました。オケよりも吹奏楽の方がずっと規模が小さくて、奏者も半分しかいない。オケの大きな音の渦が大好きだった私には、どこか物足りなくて。

部員も、ホルンパートに小中で部活を共にした子が1人いましたが、ほとんどが初めて出会う人ばかりです。

それでも、楽器に対しては自信があった私は、なんとかなるだろうという気がしていたんです。吹奏楽も、そのうち好きになれるだろうなぁと。

 

しかし、私の持っていた自信やプライドは容赦なく崩されていきました。

ホルンパートの同期には、小中の友達の他にもう1人、男の子がいました。部活の間はいつもケータイをいじっていたような人だったのですが、楽器を吹くとめっちゃ綺麗な音出すんですね。

ほんとは認めたくないけれど、私より、格段に上手い。

そして後に、彼が中二の時のコンクールで、私のひとつ前に吹いて県大会に出場したあの人だったことが判明して。

いや、え、嘘やん。と。

 
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もー、中学までに着々と築き上げてきた私のプライドは半年も立たないうちにぺちゃんこになってしまったんですね。

部員と仲良くなろうにも、吹奏楽を好きになろうにも、自分の演奏を好きになれないからどうにもならなくて。

 

それまで私に優越感を与えてくれていたホルンが、劣等感の化身のようになってしまった。

そこからみるみるうちにスランプに陥り、中学の頃に出来ていたはずの演奏さえままならなくなりました。

 自分を騙し騙し部活を続けていましたが、どんどん辛くなっていって、友達に「退部しようかな」って毎日のように相談していました。

 

勉強もどんどん難しくなっていきました。

一応進学校に通ってはいましたが、ふと将来のことを考えた時に、「なんでこんな五教科を勉強しているんだろう」という疑問が湧いてきて。

問題の答えや考え方が分かった時の快感は好きだけど、これって将来何に役立つんだろう?

テストも宿題もそこそこにちゃんとやっていましたが、その疑問はずっと自分の中にあって、そして次第に、「教室にいることがこんなにもしんどいのに、なんでがんばって学校に行って勉強してるんだろう」と、思い始めてしまいました。

 

いろいろな辛さが少しずつ積もっていって、週に1度は学校を休まないと精神的に辛くて体調も崩してしまうようになってしまいました。

「自分で自分の首を絞めているんだから、自分で解決しなきゃ」と思っていたので、親以外の誰にも、ほとんど相談できませんでした。

 

これが、高校1~2年の頃の話です。

しかし、部活に関しては1年の冬に転機が訪れます。次の記事ではそのことを書きますね。

当時のブログ記事より引用②

2010.12.8

 

長い長い手紙を書くなら。

 

はじめて出会ったとき。

楽器決めでジャンケンをして、たしかチョキで勝った。

そして、君に出会った。

 

それはそれは変わった色をした君に、

ヒいていた自分がいた。

――この楽器を、半年吹くのか。

 

どうしよう、と思った。

今では考えられないけど。

もしかしたら君は、いままでずっと、そう思われて吹かれていたのかもしれない。

実際、私は最初そう思った。

だけど、先輩に「すごく良い楽器なんだよ!」って言われて、

どうせ、来年には楽器変わるしって思って、

ちょっと複雑な心境で、君を使うことになった。

周りのみんなの楽器は、ちょっとサビてるけどピカピカで、私のは1個だけ緑色にくすんでいた。

 

君といろんな体験をして、

1年から大きな大会に出ることになって、

その大会で2ndの大役をもらって、

初めて、大好きな先輩が引退する、その辛さを知って、

難しい3重奏に挑戦して、

あっと言う間に半年が過ぎた。

楽器は変わらなかった。

 

2年生では、後輩が入って来て、嬉しくてはりきっちゃって、

林間学校で無理矢理アンサンブルして、

新型インフルエンザの悪夢に文化祭が襲われて、

コンクールでは予選を勝ち抜けたけど惜敗して、

ソロのコンクールで優秀賞とって、

またこの1年もあっと言う間だった。

次の年も、また君がいた。

 

3年生。

パートリーダーになってオロオロして、

新しくて大きくて、素敵なホールが市内にできて、そこで発表会したりして、

そこで、君の名前をもらって、

発表会では初めて緊張して、

コンクールでは念願の全国進出を果たした。

最後はパートのみんなと、卒業写真のアンサンブルを披露して終わった。

 

2年半、まるまる過ぎてしまった。

私の中の大切な思い出の傍らには、

いつだって君がいた。

 

思い出ごと、君のことが大好きになってしまった。

大好きって言葉だけじゃ言いきれないくらい、大好きになってしまった。

大大大大大大大大大好きになってしまった。

かけがえのない存在になっていた。

君は、私の青春の象徴なんだって、

最近よく思う。

 

先輩や後輩、同級生までもが、

私の音を好きだと言ってくれた事がある。

確かに、それは私の音かもしれないけど、

本当は、全部君の音だったんじゃないかって思う。

 

私以外にも、いろんな人に愛されてたんだね。

良かったね。本当に、すばらしいことだよ。

 

今日、賑やかなお別れ会を終えて、

できれば、君をピカピカにしてかえしてあげたかった。

それはちょっとできなかったけど。

だから、せめてでもって、オイルとグリスをちょっと差して、

マウスピースを洗って、

軽くクロスで拭いて、

君をケースにしまおうと、楽器置き場の前に座り込んだ。

 

座り込んでしまった。

どうしても、君をケースに入れることができない。

 

長かった。

短かった。

悲しい。

寂しい。

切ない。

いろんな気持ちと焦りがいっぺんにこみあげて、ヘンな感じがして、

今日、今が、君とお別れだなんて。

 

すこし前に、君を買い取れないかって聞いたら、

法律上学校の備品は法律上買い取れないって言われた。

きまりって不条理だね。

 

だから、今日どうしてもお別れをしなきゃいけない。

もっと、心の準備をして行けば良かったとも思ったけど、

どうせして行っても同じだろうと思った。

 

君がグレることが少なくなりますように。

君が、いつまでも良い音を出せる楽器でありますように。

これから、君を使う人に、君が愛されますように。

 

たくさんの願いをこめて、「ありがとう」って伝えて、

ヘンな涙がいっぱい出てきて、

やっと、君をケースにしまえた。

ゆっくりやってたら、また君を私の膝の上に戻しちゃいそうだったから、

なるべく手早くやった。

ヘンな涙は止まらなかった。

 

ありがとう。

ごめんね。

やっぱり、ありがとう。

大好きだよ。

 

最後のロックをしめて、暫くして、やっと立ち上がれたんだよ。

ヘンな涙はもう出てこなかった。

 

帰り道に、素敵な曲を教えてもらった。

私の天使は、君だよ。

私にたくさんの幸せをくれたのは、君なんだと思う。

ちょっと捻くれ者で、すぐにスネちゃう君だったけど、

私は、君を吹けて幸せだった。

すごくすごく、幸せだった。

きっと、この先これ以上の幸せって無いかもしれないって思うぐらいにね。

 

だから、これからは君が幸せでありますように。

君を使う子が、また、君の事を大好きって言ってくれますように。

君が、永く永く使われますように。

 

私の手には、今も緑色のシミがついているよ。

綺麗さっぱり洗い流すことは、もうないから。

もっと違うところに、色濃く残っているから。

君にも、私の跡が、どこかに残っているといい。

また会いに行く時には、もう「私の」とは言えないけど、

きっといつか会いに行くからね。

それまで、待っててね。

 

親愛なるホルンこと、

かたくりこちゃんへ

当時のブログ記事より引用①

2010.6.17

気がついたら、驚くほどに、弱気になってた。

 

過去を思い出す。

悲しいくらい、鮮やかに。

胸が痛いほど。

 

やっぱり、独りはつらい。

もう、仲間がいるってことに、なれちゃったから。

もう一回独りになるのは、やっぱりつらい。

 

たとえ、どんなに強力な助っ人がいても、それは自分が決めることだから。

自分が、結局やらなきゃいけないんだって。

前に進むのは、進めるのは、自分なんだって。

 

あー、ヤだなー。自分ヤだなー。

やめれたらいいのに。

 

何、ふりまわされてんだ。

負けないって、決めたのに。

 

でも、だんだん自分が自分じゃなくなっていくようで。

どんどん、自分から離れていくようで。

 

2010.7.21

傲慢だし見栄っ張りだし

弱虫だし人でなしだし

人の気持ちもいまいちわかってないし

変なところで正直だし

人を困らせたり傷つけたりばっかりしてるし

すごく色んなことがテキトーだし

常にネガティブだし

アホだしバカだしドジだし

空気も全然よめなくて

完全なところがひとつもなくて

全然いいひとなんかじゃないし

私の優しさはただ臆病なだけで、結果的に自己満足としか思えないし。

むしろ、この自分の汚れた心の内の中のどこにいい所があるのかわかんないし、

「絵がうまいね」とか「楽器上手だね」とかいわれるのは嬉しいけど、

結局、人としていいところが何処なのかってのが全然わかんなくって。

もうどうしよう。

ずっと、いいとこ無しの人間になっちゃいそうで怖い。

何のために、自分は存在したんだろう?

 

2010.9.11

だめだ。自分が嫌いすぎる。

ごめんね。ごめんね。

多分、自分を嫌っている人間の中では、あたしが一番自分を嫌っている。断言できる。

だって、自分の嫌なとこ、誰よりも一番よく知っているから。

誰かに会って、しゃべりたいけど、やっぱり誰にも会いたくない。

できれば否定してほしいけど、仮面をつけた愛や同情は、もういらないよ。

正直、その愛が仮面なのか、実は鬱陶しい気持ちが仮面なのか、わかってないんだけど。

何が嘘で、何が真実?

どこまでが冗談で、どこからが本音?

みんな、考えていることが複雑すぎるよ…

 

2010.11.3

あたしは

人生の3分の1に対する

後悔と会心の情を

ただひたすらに行き来する

名をつけることすら許されない

きっと野良猫だろう

 

あたしなんか昔のまま

ずっと独りぼっちだったらよかったのに

 

時々息が苦しくなる幸福も

自己嫌悪という名の逃げ場も

自分の責任から逃れる弱さも

叶わない想いも

何一つ知らずにいれたのに

 

2010.11.20

消えろ消えろ消えろ

自分消えろ

 

自分を責めることで

行き場の無い苛立ちから解放される気がしているって

気がついた

 

だってそれ以外に術が無いんだもの

 

~~~~~~~~~~

 

次回、もう1個だけ引用記事を続けて、高校時代に話を進めます。

ちなみにこのブログ、まだあります。ググったら出ます。笑

結構イタイのであんまり見られたくはないです。笑

独りの殻

3年生になりました。部活で仲良しの子とは同じクラスになれませんでした。

それでも、なんとか教室に居場所を作って、修学旅行で同じ班を組めるような友達ができました。

その修学旅行以来、同じ班だった子達から無視されるようになりました。

 

色々とそれらしい理由を考えたりしましたが、今でも理由はよく分かっていません。修学旅行中は楽しく過ごしていたはずなのに、突然無視されてしまったんです。

何が何だかよく分からないけれど、理由を聞こうにも無視されるから聞けない。ていうか、怖くてそんなこと聞けない。

ただひとつ、確信を持っていたことは、「私が何かいけないことをしたから嫌われたんだ」ということでした。

 

それ以来、曖昧に存在していた自己卑下の感情が決定的になって、ひたすらに自分を責め続ける日々がはじまりました。

 
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 ににか on Twitter: "苦しい http://t.co/jqSL1qyOQy"

 

小六の時みたいに、クラス全員に無視されていたわけではありません。手を差し伸べてくれた子もいました。それでも、素直に「ありがとう」とは思えなかった。

大きかったのは、気を使ってもらっていることによる惨めさでした。そう思ってしまう自分のことも、また責めていました。

 

秋の合唱コンクールはクラス対抗だったのですが、伴奏を担当していた私はクラスのみんなを引っ張る立場になりました。みんなついてきてくれて、一緒に学年一位に向かってがんばって。

結果は二位でみんな心から悔しがっていたけれど、心から喜んでいました。

私も嬉しかった。みんなが私の言葉を信じてついてきてくれた。

 

だけど、私の中で、それは合唱コンクール限定の出来事でした。合唱コンクールだったからみんな私のことを信じてくれたし、私もコンクール関連でならみんなに話しかけることができた。

でも、合唱コンクールが終わったらおしまい。コンクールが終わったその日のHRで「みんな今までありがとう」って頭を下げて、再び独りの殻に閉じこもりました。 

 

みんなのことを嫌いになったわけではなく、こんな私なんかと本当はみんな関わりたくないんだろうなっていう気持ちだったんです。

そんな、過剰な自意識や被害妄想の世界から、私は抜け出せなくなっていました。

 
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そんな時の逃げ場所は、やっぱり部活で。

部活では、自分を受け入れてくれる仲間がいて、演奏することそのものが楽しくて、優越感の心地よさにまで浸ることができる。

教室では居場所を失って劣等感に苛まれていた私にとって、部活の時間は、学校生活における唯一で最大の救いで、居場所でした。

最後のコンクールには、全国大会にまで出場することができました。あれはもう、めちゃめちゃ嬉しかったなぁ。今でもその時の記念品を部屋に飾っています。

 

教室はひとりでに息苦しい場所になり、部活に対する執着はますます強くなっていきました。

 

前回の記事で、当時のブログ記事を引用すると言いましたが、結構長かったので、次の記事で抜粋して引用します。

予告しておきますが、けっこう厨二臭いです。今見ると、ウワァァァ…って気持ちになります(笑)

でも、なんだか読んでいて面白くなってきちゃったので、いくつか抜粋してそのまま載せちゃおうと思います。

当時の切羽詰まってる感じとか、いっぱいいっぱいな感じが、そのまま書き殴られている感じです。それでは。